シャカイジンへの道-47【まだ終わってない】

もうすぐ、死者・行方不明者あわせて1万6千人を越す被害を生んだ、あの3月11日が巡ってきます。

2011年のあの日、青森市も大きな揺れがあったものの、わが家の被害は一晩程度の停電で済みました。むしろ首都圏で帰宅難民を体験した方々のほうが大変だったかもしれません。

それに比べて、岩手・宮城・福島のいわゆる被災3県の被害には言葉を失います。元々高齢化が進み、漁業が主力産業だった三陸沿岸の地域では、人口流出が加速し、地域コミュニティーを再生できない町がまだあります。

福島県浜通りの壊滅的な被害は、地震や津波の被害にとどまりませんでした。東京電力福島第一原発の水素爆発は、みんなが信じていた安全神話を崩壊させただけでなく、住んでいた場所にいまだに帰れない人を生み、風評被害が第一次産業に大きな打撃を与えました。原子力発電の必要性や将来性について、あの日から多くの議論が続いています。

被災の当事者にとってみれば、これからも悲しみが終わることはないのでしょうし、たった5年では、失ったものを取り戻せない場面ももちろん多いのだと思います。それでも、東北に縁の薄い人にとっては、もうすでにあの日の記憶は風化し始めていて、日常の出来事に関心が移っているように感じます。
一方で、人口減少が進む東北のこれからを考えるとき、復興という旗印のもと、この5年間でたくさんの取り組みがこの東北で展開されたことは、悲劇が生んだ財産ではないか、と思うのです。

それまで東北とは縁がなかったたくさんの人たちが、東北に関わりを持ちました。東北を支援するためにボランティアで集まっていた人や、被災地の企業を支援するために期間限定で東北に入り込んでくれた人材は、元の地域に戻った今でも、東北のことを考えてくれていると感じる場面がたくさんあります。

私ですら、数回のボランティア活動で訪問することができた宮古市や山田町、大槌町のニュースはとても気になります。

そう考えると、東北で生まれ育った人だけがこれからの東北を支えるのではなく、震災という特別な環境だからこそ創り出すことができた新しい「縁」を、これから東北活性のネットワークに変えていくことも、大切な視点になりそうです。

それが、不幸な出来事を前向きにとらえ直すことにつながるのではないかと考えています。



(特定非営利活動法人プラットフォームあおもり理事長 米田大吉)